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    一見、無表情の様に見える老人がいたとしても、私たちは、その表面の姿に惑わされてはならない。


  と言うのも、老人の心の奥底には、脈々と流れる、豊かな暖かい潤いが、たゆまなく流れ続けているのですから……。


  私たちが、健康で元気一杯の時には気づかない。私たち(職員)が、何かに傷つき、悩み、沈んでいる時、老人は静かにの側に寄り添い、見守り、そして実にタイミング良く、優しい言葉で、私の傷を癒してくれる。


  『長く生きて来た』 ということは、人に言えない苦しみや悩みを一人で耐えた孤独の日々も、両の指では、数えき
 
初代苑長    太田 受宣
 
れない程だったことでしょう。だからこそ、今、孤独の淵に沈みかけている人を見ると、他人事とは思えずに、その苦しみを、共感・共有してくれようとしているのでしょう。


  それは、決して、悩みや苦しみの内容が判ったからの共感ではない。悩みを抱えている人の、その淋しそうな後姿を見過ごしていられない、そんな敏感な優しさなのだと思います。


  福祉職員の多くは、その控えめな優しさに包まれて、再び立ち上がる勇気を与えられて、よみがえり蘇生した経験の持ち主なのだと思う。そして、私もまた、そのひとりでした。


  私たち職員が、老人に優しさを与えているのではない。むしろ、『老人の優しさと暖かさに包まれている…』という方が、当たっている様な気がする。


  その幸せに気づいた人こそ、本当に幸せな人(職員)だと思う。私も、そんな職員であり続けたい。


  一見、無味乾燥に見える老人の、その心の底から、再びその豊かな水流を湧き上がらせるとしたら、それは何によって可能であろうか。


  それは、老人に対する、私たちの憧れと敬いの心のみが、それを可能にすると言っても言い過ぎではない様に思う。


  『年老いることへの憧れ』『年老いること』に依ってのみ、身に備わってくる″豊かさ″″優しさ″″落ちつきに、うっとりと見惚れてしまった、そんな経験に出くわした人にのみ、その豊かな水流を掘り当て、口にできる様に思われて仕方ない。


  もし残念ながら未だ、そんな経験の無い(不幸な)人であっても、 何の心配もいらない。たったひとりで良い。自分が尊敬せずにはいられない、あるいは、愛せずにはいられない、 そんなひとりの老人との出遇いが、すべての遅れを一瞬にして取り戻してくれるのである。


  どうしてそう成るのか……それは、老人に対して親しい気持ちを持った人は、黙っていても、次第にその人に興味を持ち、その人の素敵な話を聞きたくなって来るからな のである。


  その人の言葉に耳を傾け、その人を静かに見つめているうちに、いつの間にか、その人から溢れ出る、美味しい水を口にし、ほのぼのとした勇気が私の中に湧いて来るのである。


  それは丁度、きれいな水を求める者は、表面はゴツゴツした地面に穴を掘り、ついには、美味しい井戸水を得るのに似ている。


  無表情に見える、一見無味乾燥の様に見える老人にアタックして見ませんか?……きっと貴方は、素敵な想い出を掘り当てることでしょう!丁度それは、幼い子供が、老人に 『昔語り』 を求めて、「もうひとつ、もうひとつ」 とせがみながら聞いていると、次から次へと生まれでて来る「おとぎ話」と同じように、湧き出して止まることを知らない地下水のように、きっと私たちの乾いた心を癒してくれることでしょう。


  そして、それを夢中で飲んでいる内に、その水(老人の優しさ・豊かさ)を、自分ひとりで飲むのが勿体無くなって来て、「こんな美味しい水があるんですが、貴方も飲んで見ませんか?」……と、人に勧めたくなるでしょう。それが、光寿苑の『としょれの話』なのです。
 
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